■ 渋谷少女監禁事件に思う

Date: 2003-07-29 (Tue)

 渋谷の少女監禁事件は二つの点で注目されている。一つは援助交際などの性を売り物にする女子学生がどんどん低年齢化し、ついに小学生まで来た事実と犯人の吉里弘太郎が自殺して果てていたことだ。

 犯人自殺については、他殺説も当初ささやかれたが、ビニールシートを被り練炭自殺していた状況から他殺は考えにくい。吉里の父親である元朝日新聞記者も西部本社社会部長を務めるほどの敏腕記者であったが、93年にに難病の頭頸部ジストニアを発病し朝日を休職した後、7年前の96年に自殺している。そして4年前に長男が自殺している。また、2年前には母親が自殺未遂を企てている。現在次男の吉里が死亡したので、母親と三男の二人暮らしとなっている。こうした家系的な側面も自殺を疑わない理由の一つとなっているようだ。もしこれが本当は他殺なのであれば、この自殺のように見せかけた人物はおそらく彼の家系的な自殺の系譜を知っていたのだろう。被疑者死亡のまま書類送検は行われるだろう。

 しかし僕は、そのことよりも先に書いた性を売り物にする少女達の低年齢化の方が、問題としてより根が深い気がする。

 事件後に鴻池防災大臣が「加害者なのか被害者なのか」と発言して物議を醸したが、僕も多かれ少なかれ同じ気持ちがあった。世間も同じように見ていたのではないか。監禁されていた4人の少女のうち3人は以前に吉里から紹介されたブルセラショップで下着を売っている。しかも客の前で下着を脱いで売る「生セラ」らしい。下着は1万円前後で買われるという。

 どういう育ち方や育てられ方をしたらそんな小学生ができるのか分からないが、事実を知れば知るほど事件に巻き込まれても仕方がない、自業自得だという気もする。

 ただし、ここで間違ってはいけない部分がある。それは援助交際にしろ、ブルセラショップでの下着売りにしろ、買っているのはいい歳をした大人の男であると言うことだ。性を売り物にする場合、必ず買い手が先にあると言うことを考えなければならない。たとえ小学生や中学生の女の子が性を売り物にしようとしても、買い手がいなければ成立しない。

 そのことは大人が肝に銘じなければならない。

 吉里のような人間や先の早稲田のスーパーフリーの和田など、こういった輩は刑事罰を受けたとしても大概10年未満で出所してくる。僕は思うのだが、性犯罪者の再犯率は非常に高いので、こうした性犯罪者には一律に性器を根本から切断し、昔のシナの宦官のようにしてしまえば良いのではないかと常々考えている。

目次  HOME