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2792人の犠牲者を出した911米国同時多発テロから今日で満2年が経った。
当時、僕は仕事で旧知の写真家と二人で山形にいた。一仕事を終えて蔵王温泉の旅館へ戻り、郷土料理に舌鼓を打った後、昼間の疲れからかウトウトし出したときにNHKの画面をぼんやりと眺め、こんな時間にパニック映画か、と思っていたらテロだった。アラブゲリラもここまで来たか、と思っていたらアルカイーダという国際テロ組織による犯行で、その頭目や兵士はアフガニスタンにいることが分かった。それから僕も自分の専門地域であるので忙しかった。
テロの年にパキスタンへ行き、アフガニスタン難民をリポートし、翌年はアフガニスタンへも入った。人心はそれほど疲弊はしていなかった。
その後、米国はアフガニスタンを空爆し、カルザイを大統領とする傀儡政権を作った。来年の4月には米軍は撤退の運びとなる。また、内戦が始まるだろう。
それから米国はイラクへの侵攻を国際世論を無視して行った。ブッシュ大統領は戦闘終結宣言はしたものの、戦闘も戦争も続いている。
こうした情勢の中で今日を迎え、新聞各紙は社説でこぞって911米国テロを取り上げている。内容は多少の違いはあるものの、いつも通りの国際協調を謳うだけだ。テロを国内問題として捉え自衛隊にまで言及したのは産経と読売、朝日に至ってはまたもや他人の言質から始まる始末である。
また、どれもテロのない世界を一日も早くと言うものの、その方法論は国際協調一辺倒である。一社ぐらい米国のグローバリズムを批判的に取り上げ、911を米国は薬とすべきである、と断じるような論説委員はいないのか。皆、内心では米国が悪いと思っているはずだ。
数日前にNHKスペシャルで「私を変えた911」を放送していた。米国民のその後を描いているのだが、そこに出てくる悲しみや哀しみ、憤りは理解できるものの、その何百倍、何千倍もの哀しみを米国は太平洋戦争終結後、世界各地の有色人種の地域へばらまいてきたのである。
そろそろ、そのことに気づくべきではないだろうか。敗戦後、日本では自由と民主主義、それに伴う形での人権が叫ばれ続けてきた。それは、とりもなおさず欧米、要するに白人の考え方に他ならない。
しかし今、ここで立ち止まって考えてみたい。本当に自由と民主主義が、人類史の中で最上最高のものであるのかという単純な疑問を呈してみたい。
長い歴史を持つ有色人種の国々では、文化と伝統をこれまで大事なものとして育んできた。文化と伝統に裏打ちされていれば、民主主義ではなく君主制でも、極端に言えば独裁制でも庶民は幸せに暮らせるということを見直すべきだろう。
アジアを終えて今、イスラムへ「自由」と「民主主義」を輸出しようと躍起になっている米国。その国を良く眺めてみれば、他国の地へ勝手に入ってきて殺戮をくり返し、今の地位を確立した。そこには、そこはかと流れる文化も伝統もない。だからこそ「自由」と「民主主義」を標榜し続けなければならない。
そんな国の尻馬に日本はいつまで乗り続けているのか。そろそろ目を醒ます時期ではないだろうか。
数日すれば、ブッシュ大統領が集金に来る。小泉総理はどう対応するのだろう。けだし見物である。
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