アフガニスタンに平和はありうるか
 では、どうすればアフガニスタンに平和な国家ができるのか。

 見方を変えれば、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻してくるまでは平和だったということを思い出すべきだろう。もう少し突っ込んで言えば、平和の崩壊の予兆は1973年の第一次クーデターによる王制の廃止と共和制への移行に始まる。

 当時の様子を象徴的に伝える話として、佐々木徹氏が書いた『アフガンの四季』(中公新書)に以下の記述がある。

 クーデターについて、これからアフガニスタンはよくなるんだとの若者の声に対し、ある老人は「ただ牛が立って、そこにロバが座っただけだろう」と答えている。

 日々の生活に追われる庶民にとって、戴く者が誰であるかは問題ではない、ということをこの老人の言葉は端的に表している。

 その後、78年の軍事クーデターで親ソ政権が出来上がり、イラン革命のソ連国内への波及を恐れ、79年12月のソ連のアフガニスタン侵攻につながる。89年にソ連が撤退した後も、主要な民族集団が国内の統合を目指し群雄割拠して武力闘争を行い、現在に至っている。

 これまでも、これからも続けられていくアフガニスタンの政治とは何なのか。どんなものなのか。一言では説明しにくいが、色々な彼ら独自の考えに根ざしていることだけは理解できる。

 そのあたりを少し分かりやすく説明したい。

 まず、彼らイスラームの人たちは「シャリーア」と呼ばれるイスラーム法によって森羅万象を生きていると言っても過言ではない。

 シャリーアとは、クルアーンと預言者ムハンマドの言行伝承などに基づき集大成されたイスラーム法のことで、神が定めた「道」を示す規範である。人間は 、それにただ絶対的に服従しなければならないと規定されている。

 西欧近代法の民事法、刑事法に相当する法的規範から信仰や道徳律、行までムスリムの生き方のすべてを規制し、規定する内容を含んでいる。

 シャリーアの高度な知識を備えた人物は「ウレマ」と呼ばれ、イスラーム国家、社会で重要な役割を果たす使命を帯びている。

 そうした法の下で評議会と訳される“シューラ”が開催される。この組織は国家レベルから市町村レベルまで、さまざまな階層で常設されており、政策提言を行ったり、その決定をするなど議会的な役割を担っている。

 そこに出席する人は公選で選ばれるわけではない。多くはその地域の部族の長がなる。

 タリバーンにおいては国家的最高機関はムラー・オマルが主催する“カンダハル・シューラ”となる。アフガニスタン政府の閣議に相当するのは“カーブル・シューラ”となり、各地域には地域別に日本の市議会にあたる市シューラがある。

 ここからがちょっとややこしくなるのだが、そうした行政区分に基づいたシューラの他に、ジルカと呼ばれるアフガニスタンの伝統的な部族長会議がある。

 国家的レベルの“ロヤ・ジルカ”は部族長や先に触れたウレマなど指導者たちが集い、会合をもって国家的な重要決定である国王の選出などを行う。

 日本のシステムに強いて当てはめればシューラが衆議院、ジルカが貴族院(参議院ではない)の感じである。それとパシュトゥン社会では部族の掟として「パシュトゥンワリ」と呼ばれる規律、戒律があり、しばしばシャリーアと一致しないことなどもある。

 しかもパシュトゥン人が全人口の55%と言っても、パシュトゥン人として統一が取れているわけでもない。日本ではパシュトゥン人として一括りにされるが、実は部族としては大きく12に分かれている。大きな部族はドゥラーニー族、ギルザイ族、の2部族である。その他に戦闘的なアフレディー族やシンワーリー族など10部族に分かれる。パシュトゥン人同士でも“カンダハルの”とか “ヘラートの”、あるいは“ガズニの”といった接頭辞がつくことがほとんどである。

 簡単に触れただけでもこんな感じで、結局どこで物事を決めるのか。分かったような分からないような感じだろう。それだけアフガニスタンの伝統的な政治構造は、外の人間から見ると複雑なのだ。

 ただ、国家としての動きよりは、部族としての動きが重視されることは間違いない。国家としてその領土内のさまざまな側面で一元的な行政府がかかわりを持っていくというのは、まず無理だというしかない。
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